思い出というもの

自分の気持ちに鬼気を感じるほどに言葉を吐き出し飢えているので少し文章を書いて発散しようと思います。

気持ちの流れるままに書き記すので、文章が普段と比しても殊に拙いものになるかもしれませんが悪しからず。

 

僕の記事には大体2種類あって、自分の考えていることや気持ちを綴るパートと、あるテーマを基に創作のお話を書くパートがあるのですが、今回は前者です。

 

題目の通り、僕にとっての思い出というものが一体どんなものであるかという話。

 

僕は今や未来よりもむしろ過去に縋って生きています。

これを聞くと、「この人、根に持つタイプかしら」と思われてしまうかも知れませんが、そうである自覚もなければ、周りからそう言われたこともないので、きっとその辺りは大丈夫。

話が逸れたので、戻します。

僕は過去の出来事の一つ一つを結構大切に思っていて、その中でも心を動かした、或いは動かすものの全てが自分の人生における果実というか、宝物のように感じています。

ただ、元々記憶力が良い方ではなかったり、嫌なことは寝て忘れる生き方をしてきた結果、楽しかったことや嬉しかったことまでもを忘れてしまうようになったりと、過去に縋るにはそうするだけの力が不足しすぎているのです。

僕が物を捨てられない人間なのはきっとそこに原因があると思います。

記憶という無形物を、 " 記憶のトリガー " として機能する何らかの有形物に置き換えているんだと思います。

そのトリガーを捨てることは記憶を破棄することに等しい、だから捨てられないんだと思います。

 

僕と仲の良い人の間ではそこそこ有名な話ですが、僕はレシートを集めるのが趣味です。

レシートを集めるといっても、コンビニで飲み物を買ったレシートなんかを取っているわけではなく、なにか特別な意味を持ったものだけを手元に残しています。

これも僕にとっては " 思い出を保存する活動 " のひとつで、大切な気持ちを忘れてしまわないように、形にして残しています。

 

ただ、最近になってわかったことですが、僕以外のおおよその人間にとっては、思い出っていうものはさほど重要ではないらしいんですよね。

その時の嬉しかった気持ちが風化してしまったら、もう興味がなくなってしまうみたいなんです。

 

例えばの話、本当に仲の良い友達とみんなで遊びに行った時に、つまらないキーホルダーをお揃いで買ったとします。

キーホルダーなんて、洒落たものでもなければカバンに付けるのも格好がつかないし、置いておけば場所を取るだけのものだと思うんですよ。

それを、" みんなで買ったから " って、しばらくの間は誰もが取っておくと思います。

僕はそういうものを大切にするタイプなので、ずっと残しておくんですけど、あとになってその話をしたときに「あー、あれね、こないだ掃除したときに捨てちゃったよ笑」なんて言われることが間々あります。

それを言われた時に、僕は思うんです。

ああ、僕がこんなにも大切に思っていたものは、相手にとってはそうじゃなかったんだな、って。

幸せな記憶が大きければ大きいほど、そういう瞬間って、首を絞めてくるものです。

 

何だか暗い話のようになってきてしまいました、悪い癖ですね。

 

過去に対する向き合い方は人それぞれだと思いますが、思い出を大切にしてもらって嫌な気持ちになる人はきっといないと思います。

だから、大切な人との思い出は大切にしてあげてください。

僕からのお願いです。