死という最高藝術

人生は1つの作品であると僕は思います。

この世には数多の芸術作品があって、絵画や音楽、文芸など、細かく挙げればキリがありません。

時代に名を馳せる芸術家というのは、得てして先達たちの残した功績を踏襲した上で高い独自性を発揮しており、その独自性故に評価されることが多いと思います。

芸術の才能をからきし持ち合わせぬ僕が語るのもおかしな話ですが、どんな分野でも足掛かり(=独自性を創出する基盤)になるのはきっと模倣なんですよね。

その模倣の最中で "自分にしか生み出せない唯一無二の表現" に辿り着いた者が、高く評価される作品を生み出していく。

ただ、その領域にまで到達するにはきっと並一通りでない研鑽を積む必要があります。

 

唯一無二の表現に懊悩する芸術家が数多居る中で、人の一生というのは唯一模倣によらず、誰もが無二たり得るものだと思うんですよね。

これを芸術作品と言わずして何を芸術と言えようかという話ですよ。

 

そして如何に美しく、或いは劇的に死ぬことができるか、それが人生という作品の価値を決めるのだと思います。

 

美しく死ぬというのは何も「多くの人に看取られながらこの世を去るのが良い」と言いたい訳ではなく、これまでの人生を憂いながら独りで死んでいくのもまた美しいと思います。

そこは各々の目指す終着点がどこにあるかという話でもあるので。

要は本人がそれまでの人生で積み上げてきたものに対し、最期に「良い結びだった」と思える死に様かどうかってことです。

 

ドラマだって、小説だって、長く物語に関わった登場人物が命を落としていく様に一番心を動かされるでしょう?

つまりはそういうことです。

 

これはもう何年も何年も言っていることなんですが、僕にとっての理想の終着点は「愛する人に命を奪われること」なんですよね。

何か止むを得ない状況があって、本当はそんなことをしたくはないのだけど、涙を流しながら僕の脇腹に刃を呑ませる。

そしてそのことを鮮烈な思い出のまま抱えて生きて、いつかは前を向けるようになってくれたら嬉しいです。

そんなにも深く、呪いにさえ感じてしまうほど愛されていたのなら、それほど幸福なことはないなと思いますね。

とは言っても僕の夢は不老不死なので、例えば僕に愛されたとして、間違っても刺し殺してしまわないでくださいね。

 

ところで僕は人を呼称するとき「○○ぴー」というのをよく使いますが、実は今回の話がその理由の何割かを担ってます。

人はみな人生という作品のプロデューサーなので…。

残りはただ響きが良いからなんですけどね。

そんな裏話もあるよというお話でした。

 

これを読んでいるあなたの思い描く理想の終着点はどんなですか?

匿名コメントで構わないので、もし教えてくれたら暇潰し程度に読んでおきますね。