今でこそ関係の無い仕事をしているが、僕は中高理科の教員免許を所有している。
しかし、幼い頃の僕は、教師という存在について良く思っては居なかった。
そんな僕にも、唯一にも近く心から尊敬した、尊敬したという表現が適切かはわからないが、憧れのような感情を抱いた教師が居た。
僕が一度は教職の道を志し、教員免許を取得するに至ったのも彼との出会いによるところが大きい。
それは小学六年のときの担任だった。
溌溂として誰にでも好かれるような、いかにも人気の教師という印象で、事実にもその通りだったように記憶している。
彼は教員歴一年目で、僕の居る学級を受け持ったのが初仕事らしかった。
当時の彼の年齢を現在の自分が既に追い越しただろうことを思うと感慨深い。
そんなことはさて置き、僕が彼の教育を受ける中で鮮烈に印象に残っている授業がある。
僕の通う小学校は1クラス30人程度の編成だった。
それだけ多くの小学生が集まればクラスに1人くらいは所謂問題児が居るもので、僕の所属するそこも例に漏れず問題児を抱えていた。
件の少年はゲーム好きで、勉強のことはまるで頭に無いといった様子だった。
しかし、担任の教師と関わる中で、少しずつ勉強への意欲を見せ始めていた。
何のきっかけかは記憶にないが、ある日その教師は少年に向かって言った。
「バケツに水を汲んでこい」と。
少年は言われるがままに水を汲んで戻ってくる。
それを教壇の前に置かせると、今度は空っぽの小さい容器を持って立つように指示する。
「いいか、その容器がお前の脳味噌だと思え」
そう述べると彼は少年の持つ容器に少しずつ水を注いでいく。
「お前の頭にはゲームの知識がこれだけ入っている。ここに国語や算数の知識を入れようとするとどうなる?」
水は容器から溢れ、床には水溜りが出来ていくが彼は水を注ぐ手を止めない。
ようやく手を止めると、彼は少年に向かってこう言い放った。
「脳に入れることのできる知識には限りがある。お前の頭に勉強の知識が入っていかないのは、そういうことだ。」
その言葉は年端もいかぬ小学生を納得させるには十分な説得力を孕んでいた。
当時の僕も甚く合点がいったようだった。
僕はそのときのことをずっと覚えていて、いつもどこか頭の片隅にはその言葉が在った。
そしていつしか色々なことを考えられる年齢になり、僕はその言葉の違和感に気付き始めた。
人間の脳を小さな容器に例えたその違和感に。
確かに、覚えていられる知識の量に限度を感じることもある。
しかしそれは生来与えられ予め容量の決まった、変えられないものなのだろうか?
個々の研鑽によってその容量は大きく鍛えられるものではないだろうか?
そう気付いたときには、もう遅かった。
僕は自分の脳を容量不可変の小さな入れ物だと潜在的に思い込んでしまっていた。
それ以来、僕はできるだけ、今生きるために本当に必要な知識の他は捨ててしまおうとするようになっていたのだ。
これは学校という場所に限った話ではないが、人格を形成する上で、周囲の大人の発言は意図せぬところに影響を及ぼすことがある。
悪意を孕まぬ心情や、善意のもとに発せられた言葉が、相手の人生にとって消えない毒のように纏わることもある。
その毒を如何にして乗り越えていくかが、人生にとって最も大きな艱難の1つであると僕は思う。