表現方法と解像度

自己表現の方法っていうのは様々あって、例えば言葉にするとか、絵にするとか、音楽にするとか、踊りにするとか、顔色を変えることだってその一つです。

或る人が「言葉の解像度」という表現をしているのを耳にしたことがあります。

解像度っていうのは一般的に画像の粗さ細かさを評価する物差しとして使われるもので、解像度が高い画像ほど細やかで美しいということになります。

言葉の解像度というのはこれを「言葉が持つ意味の繊細さ」に置き換えたもので、繊細な表現ほど言葉の解像度が高いということになります。

この "解像度" は言葉に限らず表現方法の全てに存在すると思うんです。

その定義付けは結構難しいところなんですが、繊細であったり、鮮明であったり、情報量が多かったりするものが解像度が高いものであると言って概ね良い気がします。

そして、それぞれの表現方法に、得意とする解像度帯みたいなものがあって、言葉なんかは突き詰めていけば極めて解像度の高い表現が出来ると思います。

要は、たくさん言葉を覚えれば複雑な気持ちをより正確に言い表せるってことです。

対照的に、音楽(歌詞の無いもの)は低い解像度を保ったまま抽象的に表現することを得意としていると思うんです。

音楽が「悲しい」と言わなくとも聞き手は悲しみを感じ取ることができる、"何となく" でそう感じさせることができてしまう。

その情報は本当にぼんやりとしていて、しかし確かに感じることができます。

その感じ方は人の感性に依存し、よって千差万別ですが、大きくズレが生じるなんてこともありません。

これって凄く面白いと思うんですよね。

僕は言葉を覚えるのが結構好きで、それは自分の考えていること、感じていることをより鮮やかなまま他者に伝えることを目的としているんですが、言葉による感情の具現化だけが最適解ではないんだなって、最近気付きました。

僕は人並みよりも表現欲が強い方だと思うのでこうして文章を書いたりもするんですが、他の人がどんなことを考えていて、感じていて、どのように表現するのか、そういう情報ってなかなか入ってきません。

みんなが頭の中で考えていることも僕に見せてくれたら、嬉しいんだけどな。