幸せの話

今日は七夕ですね。

天の川に隔たれた織姫と彦星が年に一度の逢い引きを果たす日、なんてロマンチックなお話もあります。

皆さんは短冊にどんな願いを込めたでしょうか。

 

今年はデジタルで書いた短冊に尽きる七夕になってしまいました。

なので、少しだけ僕の願い、というか、欲望みたいなものを文字にしてみようと思います。

 

率直に言うと、少しだけでいいのでみんなから幸せを分けてほしいです。

幸せを分けてほしいと言っても、僕は「○○ちゃんと彼氏が幸せそうなの見てると私も幸せ♡」なんて言えるほど良い趣味は持ち合わせておりません。

 

じゃあどうすれば良いかって言うと難しいんだけけど、そうだなあ…。

漠然としているけど、僕のする何かがみんなを幸せにして、その幸せを少しでも返してくれればそれが一番嬉しいんですよね。

何も返ってこなかったときに心細い気持ちになるので、動機が不純なのかもしれないけどね。

まあでも、魚心あれば水心なんて言葉もあるくらいですし、人間そんなもんです。

結局は形のある愛情が一番嬉しかったりもするもんです。

自分が幸せを感じている時の気持ちがあって、それと同じものを誰かに与えられるってだけで嬉しいので、半分はそこで達成されてるし、いいんですけどね。

 

でもこういう話をすると、薄気味悪く思う人もいると思うんです。

「他人の幸せが自分の幸せだなんてどうかしている」と。

僕もどちらかと言うとそちら側の人間でした。

今でも、自分の関係ないところで生まれる幸せを自分の幸せに転換できる人に対してはそう思うこともあります。

 

じゃあ何でこんなことになってるかっていうと、僕の人生でかなり影響の大きかった言葉に「与える喜びを理解出来る人間になれ」っていうのがあるんですよね。

これはお世話になった学習塾の塾長に言われた言葉なんですけど、当時の僕には衝撃でした。

何が衝撃だったか、どう感じたか、っていうのは正直そろそろ文字を書くことに疲れてきたので、筆舌に語り尽くせぬ、ってことにしときますが、とにかく衝撃でした。

その時から少しずつ、自分が何かをされて嬉しいなら、今度は自分が"する側"の立場になればいいんじゃないか、みたいな思考が根付いてきたんだと思います。

 

だってそういう世界って素敵じゃないですか。

幸せにする人がいるから、幸せになる人がいるんですよ。

 

みんなはどういうときに幸せを感じるのかなあ。