後日談:レゾンデートルの犬

【レゾンデートル(raison d'etre)】
自身が信じる生きる理由、存在価値を意味するフランス語の「raison d'etre」をカタカナ表記した語。他者の価値と比較して認められる存在価値ではなく、あくまで自己完結した価値を意味する。──実用日本語表現辞典

先日、「レゾンデートルの犬」という記事を投稿しました。
その後日談というか、背景解説みたいなことをしてみようと思います。
この頃なんだか小難しい事ばかり書いていて読み手が苦心してる気がするので、ほんの少しくらいはわかりやすく行けたらいいなと。

レゾンデートルという言葉自体は、NICO Touches the Wallsのレオという曲の歌詞で知りました。
正確な意味を知ったのは、記事を書き始める少し前です。ちょうど1年くらい前かな。
この言葉を使って何かが書きたいな、というのが始まりでした。

主人公は "真面目だが内向的で斜に構えたような態度の低体温少年" みたいなイメージです、こいつ、俺か?
一方で途中に出てきた友人はある程度の外向性を持っていて、お互いの足りない部分を埋め合うような関係だと思います。

書き始めた当初はこの友人は登場してなくて、"偉そうな奴の講演を聞いた主人公が1人で自分の存在価値に思い悩む" みたいな感じでした。
こいつが出てきた理由は2つ、1つは比較対象が居た方が主人公の懊悩が際立つんじゃないかと思ったから、もう1つは主観的価値と客観的価値(今適当に思いついた言葉だけど何となく伝われ)みたいな話がしやすくなるかなって思ったからです。

主人公は友人のことを価値ある人間だと思っています。
そして恐らくは友人も主人公に対して同じことを思っています。
ですが、主人公は内向的な自分に劣等感を感じ、"自分にはこの友人みたいに人望もなければ、人を導くような発言力だって無い、自分には価値がないんだ" と思い込んでしまいます。
外向的な人間ほど能力が高いように言われがちな世の中ですからね、仕方ないです。
彼は彼できっと良いところがあるんですけどね、気付いてないんだと思います。
誰だって何かしら良い所と悪い所を持ってるものです。

関係ないし大雑把な情報だけど、実は内向的な人間の方が優れた能力を持っていたりするみたいですよ。
何だか内向的な人間の方が平均年収が高くなる傾向があるとかなんとか、どっかの研究結果でそういうのもあるらしい。詳しくは知らないけど。

話を戻します。
いなすような友人の態度に主人公は感情を剥き出しにしてしまいます。
きっと以前から何となく悩んでたんだと思います。自分よりも社交的な友人の姿を見て。
友人くんの出番はこれで終了。キレられるために出てきたみたいになりました。噛ませ犬感がすごいです。かわいそう。

あとは主人公が一人で悩むだけのシナリオです。
主人公が一人になってからの文章、やたら分かりにくいことが書いてありますね。
これがさっき言った主観的価値と客観的価値みたいな話になるんですけど、つまり、価値ってのは自分が決めるものじゃないと。

例えばリンゴがあったとして、ある人に言い値で売るものとします。
買い手が「このリンゴは100円だ!」と言えばリンゴの価値は100円になるし、「このリンゴは500円だ!」と言えば価値は500円になる。
これはなにもリンゴの味が変化した訳でもなければ、リンゴ自身が「私は500円くらいの美味しさですよ〜」って言ったわけでもじゃないんですよね。
要するに、周りの人間がどう評価するかが、その人や物の価値を決めるってことです。
これを客観的価値と呼ばせてもらいました。

一方で、リンゴには自我がないけど、人間は思考することが出来る、つまり "自分で自分を評価する" ってことが出来てしまうわけです。自分が思う自分の価値、これが主観的価値になります。
厳密に言うと違う気がするけど、この主観的価値がレゾンデートルにあたると思っといてくれたらいいです。

でも、この主観的価値は幾分か無意味なんですよね。
自分で決めた自分の評価と、他者から見た自分の評価は往々にして異なるからです。
例えば極端な話、俺はゴッホより良い絵が描ける人間だ!と思っていたって、周りがその絵を見てそう思わなければ、意味が無い。
それは "自分が作り上げた虚構の自分" でしかなく、何の実用性も持たないんですよね。
でも他者からの評価なんて見えないので、自己評価を物差しにするしかない、だから自己肯定感の低い人間っていうのはここが悩みの種になったりするわけですよね。
本来なら自分の行動や在り様が他人に評価されて、それが存在価値となるはずなのに、自分で自分を値踏みして、価値がないと思い込んでは存在価値に思い悩む、そして生きている価値がないと思ってしまえば動くことをやめる。
所謂、負の連鎖というやつ。
これが「レゾンデートルの犬」状態です。
「レゾンデートル」という言葉の意味は既に書いた通りで、「犬」は "首輪に繋がれ、服従する者" みたいな意味で使ったつもりです。

生きていく上で、自分は何のために生きているんだ?って思うことが一度や二度はあると思いますが、そんなことに振り回されていてはきっと駄目なんですよね。
価値は元から備わってるものじゃなくて自分で生み出すものなんですよ。
だから、生きる理由が見当たらないから生きるのを辞めるのではなくて、その "理由" を見出すような生き方ができたらいいと思うんです。

そして、きっとあなたが思ってる以上に、周りの人はあなたを評価してくれてると思いますよ、って、自戒の意味も込めて。
そんなお話でした。

レゾンデートルの犬

壇上、或る人は問いかける。

 

『君の生きる価値は何だ?』

 

僕は呟く。

 

「そんなの、こっちが聞きたいよ。」

 

生きる価値とは自分で見つけ出すものだ、その人は偉ぶった調子でそう続けた。

その後の話はよく覚えていない。

 

明くる日、僕は友人と昼食を摂っていた。

 

「なあ、僕の存在価値は何だと思う?」

「どうした藪から棒に。お前はどうしてそんなことを知りたい?」

「いや、単に気になるだけだ。」

「そんなことを一々気にしていたって、気疲れするだけだ。やめておけ。」

 

答えには、なっていない。

しかし、僕にとっての彼の存在価値は、そこにある。

僕の不安を看破し、的確に打ち砕いてくる。

彼とは長い付き合いだが、僕は何度もそうして救われてきたのだ。

ただ、今回に限っては僕の方が一筋縄ではいかなかった。

 

「何だよそれ。お前には語って聞かせるほどの価値がない、本当はそう言いたいんじゃないか?正直に言ってみたらどうなんだ。」

「誰もそんなこと言ってないだろ。何を躍起になってるんだ。」

「………少し頭を冷やす。」

 

自分でもどうして感情的になっているのか、理解が及ばなかった。

気付けば何かに化かされたように啖呵を切っていた。

ただ、正体の見えない何かに脅かされる感覚だけが確かだった。

 

「 " 君の生きる価値は何 " 、か…。」

 

外に出て低い石垣に腰掛け、風に当たっていると、その言葉が脳裏をよぎった。

 

価値とは本来、他者からの評価によって生まれる形而上のステータスであり、自己に内在させるものではない。
頭では、そう理解している。
しかし、理解の外では自らの存在価値を探し求めてしまうこともまた事実だ。
生きて、そこに付随するはずの存在価値が、無意識のレベルで生に先行してしまう。
価値が無ければ、生きては居られない錯覚に陥る。
言わば我々は、レゾンデートルの犬なのだ。

 

きっと僕は存在価値に怯えている。

何者にもなれない僕は、何者にも代替され得ない唯一の人間である証を、きっと必要としているのだろう。

これから先の人生も、恐るらくはそうして怯え続けていく。

いつかの問いの、その答えに辿り着くことができたなら、そのとき僕は心の底から " 生きて良かった " と思えるのだろうか───。

 

思い出というもの

自分の気持ちに鬼気を感じるほどに言葉を吐き出し飢えているので少し文章を書いて発散しようと思います。

気持ちの流れるままに書き記すので、文章が普段と比しても殊に拙いものになるかもしれませんが悪しからず。

 

僕の記事には大体2種類あって、自分の考えていることや気持ちを綴るパートと、あるテーマを基に創作のお話を書くパートがあるのですが、今回は前者です。

 

題目の通り、僕にとっての思い出というものが一体どんなものであるかという話。

 

僕は今や未来よりもむしろ過去に縋って生きています。

これを聞くと、「この人、根に持つタイプかしら」と思われてしまうかも知れませんが、そうである自覚もなければ、周りからそう言われたこともないので、きっとその辺りは大丈夫。

話が逸れたので、戻します。

僕は過去の出来事の一つ一つを結構大切に思っていて、その中でも心を動かした、或いは動かすものの全てが自分の人生における果実というか、宝物のように感じています。

ただ、元々記憶力が良い方ではなかったり、嫌なことは寝て忘れる生き方をしてきた結果、楽しかったことや嬉しかったことまでもを忘れてしまうようになったりと、過去に縋るにはそうするだけの力が不足しすぎているのです。

僕が物を捨てられない人間なのはきっとそこに原因があると思います。

記憶という無形物を、 " 記憶のトリガー " として機能する何らかの有形物に置き換えているんだと思います。

そのトリガーを捨てることは記憶を破棄することに等しい、だから捨てられないんだと思います。

 

僕と仲の良い人の間ではそこそこ有名な話ですが、僕はレシートを集めるのが趣味です。

レシートを集めるといっても、コンビニで飲み物を買ったレシートなんかを取っているわけではなく、なにか特別な意味を持ったものだけを手元に残しています。

これも僕にとっては " 思い出を保存する活動 " のひとつで、大切な気持ちを忘れてしまわないように、形にして残しています。

 

ただ、最近になってわかったことですが、僕以外のおおよその人間にとっては、思い出っていうものはさほど重要ではないらしいんですよね。

その時の嬉しかった気持ちが風化してしまったら、もう興味がなくなってしまうみたいなんです。

 

例えばの話、本当に仲の良い友達とみんなで遊びに行った時に、つまらないキーホルダーをお揃いで買ったとします。

キーホルダーなんて、洒落たものでもなければカバンに付けるのも格好がつかないし、置いておけば場所を取るだけのものだと思うんですよ。

それを、" みんなで買ったから " って、しばらくの間は誰もが取っておくと思います。

僕はそういうものを大切にするタイプなので、ずっと残しておくんですけど、あとになってその話をしたときに「あー、あれね、こないだ掃除したときに捨てちゃったよ笑」なんて言われることが間々あります。

それを言われた時に、僕は思うんです。

ああ、僕がこんなにも大切に思っていたものは、相手にとってはそうじゃなかったんだな、って。

幸せな記憶が大きければ大きいほど、そういう瞬間って、首を絞めてくるものです。

 

何だか暗い話のようになってきてしまいました、悪い癖ですね。

 

過去に対する向き合い方は人それぞれだと思いますが、思い出を大切にしてもらって嫌な気持ちになる人はきっといないと思います。

だから、大切な人との思い出は大切にしてあげてください。

僕からのお願いです。

夏の幻影

茹だり腐り落ちた鳥の亡き骸が、スイカズラの茂みに埋もれている。

その姿は夏日に枯る青い果実のようにも見えた。

 

好天とも荒天とも言うべき調子で太陽は嗤っている。

 

呪いにも似た感情を覚えながら空を仰ぎ見ると、陽光の鋭さから逃げるように夢から覚めた。

酷い悪夢だ。

ベッドを見ると大きな汗染みが出来ていた。

 

コップに水を注いで飲み干し、夏虫の喚く方を見遣る。

道行く人々は深緑の木々に生気を吸われているようだった。

 

ふと机上を見ると、書きさしの小説が口を開けていた。

「気を衒った出立ちで死んだように生きる者、我が性と言わんばかりに踊り狂う者、全てを諦めている者。くだらない季節だ。皆々、夏の暑さに気が触れてしまっている。」

 

気が触れているのは僕も同じだ。

3年前に妻を亡くしてからは、失われた幸福に縋るように生き、その無益さにまるで気付こうともしない。

ただ、僕をこの世に繋ぎとめておくものはそれしかなかった。

茹だるような暑さが、この世に繋がる鎖の幻影を作り出しているようにさえ思えた。

統べて、この炎天こそが有象無象を生に狂わせていた。

 

ペンを執り、書きさしの小説に綴る。

「このくだらない季節を、人々を狂わせる夏を、僕は愛している。」

春の

桜が咲いている。

突然目に入ったその光景に、昨日までは無かったものが急に現れたような錯覚を覚えた。

 

花は好きではなかった。

咲く花に気持ちの全てを左右されるような、季節を強要されるような、そんな気がしてしまうからだ。

 

今日は其処彼処で入学式があるらしい。

余所行きの衣服を纏った女性が、真新しい制服に身を包むその愛娘を、今にも泣き出しそうな表情で連れていた。

こんな光景ですらも僕を何かに駆り立てるような気がして、心を苛めるのだった。

 

もし仮に、やっとの思いで育て晴れの日を迎えた彼の子の命をこの場で奪ってしまったら、どんな気持ちがするだろう、どんな目を向けられるだろう。

そんなことを考えてしまうくらいに、僕の心は焼け爛れていた。

 

枯れていく心根は、散る桜のように美しくはいかないものだ。

花に降られて我に返ると、そんなことを思った。

夜は心を溶かして

「また一日が始まる…。」

 

少し開けた窓の外、漂泊する小鳥をぼんやりと見つめながら、彼女は呟いた。

 

小鳥は、その声を僅かに捉えていた。

意を解すことはない。

音は獲物や身に迫る脅威を察知するための媒体に過ぎず、頭に植えられた磁針を頼りに帰巣するその生態は、どこか機械的にも思える。

 

彼女はトーストを齧り、コーヒーから立ちのぼる蒸気に脳が苛まれるのを感じていた。

作業とも言えるこの習慣を何度繰り返してきたか、それを考えることの無益さすらも、忘れてしまっているようだった。

 

いつもの時刻、鉄の棺桶に攫われて向かう先もまた、いつもの場所。

そこからの時間は単調なもので、気がつけば夜の帳が降りていた。

 

家路につき、夜凪に大きく溜め息を吐くと、急激な虚無感が襲う。

 

「何か美味しいものでも買って帰ろう。」

コンビニに立ち寄ると、あつらえ向きに思えたいくつかを気のままカゴに放り込み、会計を済ませた。

 

家に着くと、冷たく闇をたたえた六畳間が彼女を迎え入れた。

 

テレビをつけると、けたたましい音が鳴り響き、部屋に僅かな暖かみをもたらす。

コンビニの袋を漁ると、買い覚えのないものが目に入った。

「間違えて買ったかな。」

そう思いつつも口に運ぶと、それは存外に心を満たした。

 

買ったものを食べ尽くし、虚ろ目にテレビを見ていると、いつの間にか微睡みに落ちていた。

幾ばくの時が過ぎたか、ふと目が覚めると空は次第に白み始めていた。

 

朝が夜を呑み込んでゆく。

鈍くも優しく心を溶かし込んだ夜は、無情にもその姿を消してしまう。

 

嗚呼、どうか私を置いていかないで。